プロフィール
村山由香里
- リムリムラボ代表
- 天神キャリア塾塾長
一歩前へ!
「女性だからとあきらめないで」
「大丈夫!あなたならできる!」
「一歩前に出よう!」
これは、1993年に福岡で情報誌『アヴァンティ』を創刊して以来、ずっと読者の女性たちに伝えてきたメッセージです。
地元で活躍する女性を、「27歳の頃」というインタビューシリーズで毎月掲載し、年に1度トークライブでリアルな肉声を参加者に伝えディスカッションしました。誰もが生きる哲学ともいうべきその人なりの「言葉」を持っています。人の内面からほとばしり出る「言葉」を引き出し伝えたいと思っていました。
特集記事では、「いま」を生きる読者の働き方や考え方、恋愛観結婚観を取材し、「あなたはどう思う?」と読者に問いかけました。考えるきっかけ、行動するきっかけになっていただけたらうれしいです。
編集方針は「男女平等の視点で企画し、男女平等の視点で取材し、男女平等の視点で書く」。誌面に「男女平等」「男女共同参画」の言葉は出さず、編集部に理念を徹底させることでこれからの時代の考え方を伝えようとしました。
「女性が活躍する社会をつくる」は、会社の理念であると同時に私自身の生きる使命でもありました。2019年に会社は終了しましたが、思いは変わりません。今までの経験を活かし、もう一度、世の中のお役に立ちたいと思っています。
公職等
- 財務省福岡財務支局アドバイザー
- 福岡県小郡市男女共同参画審議会会長
- 福岡県大刀洗町男女共同参画審議会会長
- 精華女子短期大学非常勤講師
- 九州大学文学部同窓会副会長
- 九州大学女子卒業生の会「松の実会」事務局長
表彰
- 平成14年第1回女性起業家大賞奨励賞を受賞(全国商工会議所女性会連合会)。
- 平成20年内閣府「女性のチャレンジ賞」(男女共同参画担当大臣賞)受賞。
職務経歴
1959
- 福岡市博多区に生まれる
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父の転勤で4歳頃久留米市に引越し、小中高は久留米市。父は松竹の映写技師。母は洋裁師。小さい頃、父の映写技師室は遊び場。洋服は全て母の手作り。
1975
- 卓球に明け暮れる高校時代
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福岡県立明善高等学校入学
入学式の「男子は世界に羽ばたけ。女子は学校の先生になったらいいですね」という校長先生の祝辞に憤怒。男尊女卑の校風に馴染めない3年間。
1978
- 勉強もせず、ただ楽しかった大学時代。
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九州大学文学部入学
専攻は国史学。大学の勉強に面白みを見出せず、なんとなく卒業。奥手で彼はできず。自由な空気を満喫した大学時代。
1982
- 就職するも、「このまま人生が終わってしまうのか」という焦燥感。
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株式会社ノエビア入社
インストラクターとして、福岡、佐賀、長崎を担当。化粧品販売店の指導育成で毎日が過ぎ、焦燥感。「他の会社の人と知り合いたい。刺激を受けたい。広い世界に羽ばたきたい」という思いが募る。
1985
- お茶くみ体験に衝撃!「女性の能力を日本社会は何と思っているのか?!」
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再就職は困難を極める。3ヶ月間契約の市役所臨時職員に就いた初日、お茶くみが仕事に組み込まれていることに愕然とする。
- フリーペーパー黎明期を駆け抜ける
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月刊情報誌「エルフ」編集部入社
フリーペーパーの名前もない頃、広告を集め、記事にし、企業の女性たちに無料で配布するという仕組みを確立し、3年で売上は8倍に。
1990
- 女性情報誌の編集長に
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「ガリヤ」創刊
エルフ編集部(嘱託職員)の女性たち12人で株式会社ガリヤ設立。女たちの反乱、というか、弾き飛ばされて生まれた会社。設立時、副編集長、のちに編集長。月刊誌で多い月の広告収入は4000万円。
1993
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資金ゼロで起業し、
働く女性向け情報誌を創刊 -
「アヴァンティ」創刊
広告主寄りの無料情報誌に、読者の働く女性の視点を入れたい。「いま」を生きる女性たちの思いを記事にしたい。働く女性に勇気や希望や元気を感じてもらう情報誌を作り、リアルなつながりの場を作りたい、と創刊。
1996
- インタビュー「27歳の頃」
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新聞や雑誌で取材されるのは東京の女性ばかり。「福岡ではカッコいい生き方働き方はできないのか。東京に行かなければダメなのか。いや、福岡にも素敵な女性はいる」というのが企画の動機。福岡の女性を紹介することで「福岡でもこんな仕事ができる、こんな生き方ができる」と読者が勇気づけられるのではないかと、地元女性のインタビューシリーズ「27歳の頃」をスタート。20年以上に渡って毎月掲載。地元のロールモデル発掘につながる。
1997
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トークライブ「女たちの
サクセスストーリー」開催 -
海外在住の日本人女性をメインゲスト、地元女性をパネリストにトークライブを開催。1回目、20代30代の働く女性250人が集い、聴き入った。参加者の心の奥の扉を開ける「場」になったことを実感。以後20年、毎年続けることになる。「27歳の頃」のライブ版。
1998
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単行本「27歳の迷路
脱出の手引書」出版 -
16人の地元福岡の女性をインタビューしまとめたもの。「27歳の頃」の単行本版。取材を担当した社員は、「まるで自分のための自己啓発セミナーのようだった」と。以後、起業家、管理職、専門職などを集めた福岡女性のインタビュー本を合計5冊出版した。
2002
- 第1回「女性起業家大賞」奨励賞受賞 (全国商工会議所女性会連合会)
2004
- 福岡県男女共同参画企業賞受賞
2008
- 内閣府「女性のチャレンジ賞」受賞
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日比谷公会堂で授賞式、総理官邸ホールで授賞パーティ。
2009
- サウジアラビア訪問
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JICAの福岡県とサウジアラビアの「サウジアラビア女性起業家支援プロジェクト」で、起業体験を講演するためサウジアラビアを訪問し、首都リヤドの女性起業家たちと交流。刺激的な異文化体験。
2010
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福岡県男女共同参画センター
「あすばる」館長に就任 -
若い女性NI男女共同参画の理念や事業を伝えることに注力し、SNSで発信を始めたり、ホームページを改修しpvを6倍にした。働く女性の問題は企業経営者や管理職に伝えないと変わらない、と、経営者管理職向けの発信に力を入れ、男女共同参画センターとして初めて九州経済産業局や経済団体と連携し、事業を展開。2012年の女性活躍フォーラム「トップが変われば、企業が変わる、社会が変わる」には地元経済界を含め500人動員。
2015
- アヴァンティに戻る
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SNSとスマホの波に吞まれ、媒体効果が薄れ、社員は疲れ、財務状態は悪化。会社は経営危機に陥っていた。立て直しを図るも先が見えない。メルマガ(1万人)効果は絶大でイベント集客力は高かった。
2019
- 1月 会社倒産、自己破産
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1億円余の負債を抱えて会社破産。年末、弁護士に相談に行く時、「全て私の責任。逃げも隠れもしない。堂々としていよう」と決めた。破産後1ヶ月間、社員全員1人も欠けることなく毎日出勤して、イベント10本をこなし、制作物、自治体の事業報告書を作成等、やり切って終了。200名予定のビューティイベントは、倒産情報が出回った後も増え続けキャンセル待ちが続出。最後に舞台に立ちご挨拶。出展クライアントさん、参加者の皆さんの温かいスタンディンオベーションに包まれて終了した。感謝。また、同業を中心に「社員を採用します」の連絡を30件近く頂きありがたかった。
- 7月 「天神キャリア塾」開講
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元読者の女性たちの支援を受け、人と人をつなぐというアヴァンティの仕事を継続するべく、知を刺激とネットワークの場「天神キャリア塾」をスタート。毎月開催。
- 7月 IT企業の執行役員に就任
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「27歳の頃」で取材したIT企業の女性社長と一緒に新規事業に着手。新会社株式会社フロイデギズモ設立に参画。編集に強いweb制作事業をスタート。主力商品は、パーソナルオフィシャルサイト制作。
- 9月 2つの県の女性リーダー養成講座でアドバイザーやコーディネーター
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福岡県「地域のリーダーを目指す女性応援研修」でアドバイザー、沖縄県「てぃるる塾」で事業コーディネーターとして、半年間、塾生たちに伴走する。
2020
- 2月 福岡の情報メディアで女性活躍ジャーナリストとして女性関連の記事を書き始める
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「フクリパ」執筆者
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4月 コミニュティラジオ天神「コミてん」パーソナリティ
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「村山由香里のcross walk」 (フロイデグループ提供)でパーソナリティ。
- 11月 福岡県女性の仕事と暮らしの応援講座「未来カフェ」(〜翌2月)スペシャルアドバイザー